2014.08.08
I miss Bono...
こんにちは、脇です。
今日はツライご報告となります。
本当は避けたかったけれど、心配して下さっている方もいらっしゃるし、ここを飛ばしては先へ進めないので...
8月1日にトイプードルのボノが天国へ逝きました。
16歳と2ヶ月でした。
ボノの存在は私にとってあまりに大きく、"家族"というよりむしろ"自分自身"のようで、ボノのことをどう表現していいのか正直なところ難しいです。それに、16年という歳月はあまりに長く深く、とてもここでは書ききれません。
ボノを飼い始めたのは私が26歳のときなので、もう、本当に長いこと人生を共にしてきました。いつも私の側に居ることを好み、抱っこされるのが大好きでした。特に、ベッドの中で腕枕をして眠る時間は何にも代え難い最高なひと時でした。ボノも私も、一日の終わりのそのひと時の為に昼を過ごしているといってもいいくらい待ち遠しく、私の肩に顎をのせ、ちゃんと掛け布団を掛けて寝る姿は犬とは思えませんでしたね。娘が産まれる6年前からいるので、私たち夫婦にとっては第一子のようなもの。正しい飼い方ではない、と分かっていても溺愛してきたし、時に擬人化することもありました。夫婦喧嘩した時にボノと一緒に家出したことなんかもありましたね...。
愛くるしい見た目とは裏腹にプライドが高く、一歩外へ出ると王様気取り。たとえ相手がドーベルマンだろうと全く恐れる様子もなく尻の匂いも嗅がせず、王者の風格漂う立派な犬でした。
昼間は留守番が多くなるので兄弟を...とボノの3歳の誕生日に飼い始めたピグ。ピグはボノとは正反対の性格で、ドタバタ暴れるわ、トイプードルなのに10kgまで大きくなるわで、それまでの平穏な生活もパパママ独占も出来なくなり、喜ぶどころか受け入れられず、原因不明の皮膚病に悩まされるようになりました。遠くの病院まで通院し、茹でたキャベツやメカジキなどアレルギー対応食にしていた時期もありました。
そんなボノもいつからかピグを許すようになっていました。ピグが10歳の若さで先立つこととなった際、寒がりなはずのボノが、冷たくなったピグの亡骸に寄り添うように寝ている姿には驚きました。きっと、ボノなりにピグとの別れを惜しんでいたのでしょうね。
そして直後にやってきたラブラドゥードゥルのフォンドのことは、初めからすんなり受け入れてくれました。全てにおいてお兄ちゃん優先にしていたので、フォンドもボノに対しては敬意を払っていました。
心臓が悪くなっていることに気づいたのその頃。そこから少しづつ覚悟をしながら過ごし始めました。
定期的に病院で検査し、漢方や鍼も試し、西洋医学と東洋医学の双方で治療をしてきました。西洋医学と東洋医学では患者を見る角度が違い、東洋医学にはレントゲンや血液検査はありません。数値による"結果"を不要とし、顔色や舌の状態、脈などから身体状態を見極めるのです。なぜか、西洋医学と東洋医学では診断結が異なることもよくあるようです。
漢方は期待以上にボノには効果があり、軽い痴呆にも効きました。西洋医学的検査はボノにとってストレスフルなものである上、東洋医学的見地からは"悪いなりにバランスがとれている状態"とのことでしたので、ある時から検査すること自体を止める決断をしました。検査による精神的ストレスによって、そのバランスが崩れてしまうことを恐れたためです。
検査を止めた時点ですでに心臓疾患と共に肺水腫も患っていました。次第に嗜好も変わってゆき、好きだったドライフードも、肉と野菜を茹でた手作りごはんも受け入れなくなり、限られた数種類のオヤツだけしか食べたがらなくなりました。もう栄養価を優先せず、ボノの好きなように、食べたいものを食べたいときに与えるようにしました。奇跡的に迎えられた16歳の誕生日には、生クリームたっぷりのイチゴのショートケーキで祝いました。
7月19日に我が家に酸素室を設置してからは、なるべくその側で過ごすようにしました。家族がすぐ近くにいることでボノは安心して箱の中で眠ることができました。しかし、ボノはもう随分弱ってきていました。
学校の合宿で数日留守をしなくてはいけない娘はボノと涙の別れをし、キャンプ中もテントの中で大泣きして作業に加われず、クラスメイトに迷惑をかけてしまったこともあったようです。帰宅後にボノと再会出来た時は本当に喜んでいましたね。
何か要求があれば鳴いて知らせるので、どんな小さな声も決して聞き漏らさぬよう、家の中で何をしていようと常に意識はボノのことばかり。そして、2階にいても不思議と私にだけは、か細いボノの声は聞こえていました。酸素濃度の高い箱の中は病んだ身体には効果的でも、ボノが出たがればいつでも出し、家の中の匂いや音、家族の気配をシェアすることも大切にしてきました。
特にフォンドはボノのことが大好きなので、気付くとボノの側にいました。大きさは違えど、互いに存在を認め合う微笑ましい仲でした。
次第に足も悪化し、自力で立つことも歩くこともできなくなりましたが、最期までトイレシーツの上での排泄に拘るボノは、本当に立派でした。
プラスチックの壁一枚隔てて共にリビングで寝る生活も、まだしばらくは続くだろうと思っていた矢先のことでした。次第に呼吸が荒くなり、点滴や座薬も全く効かず、私の腕に抱かれたままボノは天国へ旅立ってしまいました。最期に「もういくね」と私の顔を見て、二回鳴いてから...
どれだけ介護が大変になろうとボノに尽くそう、と心に誓った2日後のことでした。
覚悟を決めてから随分と側にいてくれたのに、残された猶予期間を後悔しないように大切に過ごしてきたはずなのに...
それでも哀しくて淋しくて、ボノのことがが愛おしくてたまらなくてどうしようもなくて、涙が止めどなく溢れてしまいます。あんまり力強く泣き過ぎると、目の周りの毛細血管って切れてしまうんですね...どれだけ泣いても哀しみは深まるばかりです。
哀しみのどん底にいたその晩、夢にボノが出てきました。
小さな公園のようなところに他の犬もたくさんいて、私のことなんか気にもせずにどんどん前へ進んでいくボノ...
ふと目が覚め、隣に横たわる亡骸を抱き寄せて、また眠りました。
朝になると不思議とすっきりした気持ちになっていて、「心配しなくてもボクは大丈夫」というボノからのメッセージだったのかな、と思えました。
もし、娘が居なかったら...私に母の役割がなかったならば、間違いなくこれから先は暗黒の時代へ突入していたでしょう。そうならなかったのは家族のお陰ですね。
2日後に火葬し、ボノはカタチとしてこの世から消えてしまいました...
これまでボノと過ごした時間、それは私の人生全て、といってもくらい。
ちいちゃなグレーのフワフワさんの存在が、どれほどの幸せと安らぎを周囲に与えてくれたことでしょう。人間と動物がこんなにふうに深く愛し合えることもボノが教えてくれました。
私たち家族の心の中で永遠にボノは存在し続けるけれど、でも、もう姿がないなんて本当に不思議です。もしかしたら長い夢を見ていただけで、ボノは幻だったのではないかとさえ思えてきます。ぽっかりと開いてしまった心の穴を抱えたまま、この先どう生きていけばよいのか分からないけれど、ボノの存在に感謝しながら前に進むしかないですね。
ボノへの最適な言葉は見つからず、「ありがとう」では全然足りません。
強いていえば、「大好きだよ」と「また会いたい」かな。
でもやっぱり、たくさんの幸せを"ありがとう"。
最後に、西洋医学と東洋医学の両面からボノを診て下さった成城こばやし動物病院の小林医院長、そしてボノが0歳のときからお世話になっているトリミングサロンドッグマンのオーナー江頭くん、お二方とも自分の犬のようにボノを大切に扱って下さり、また最期が近づいてからは臨機応変に細やかな対応をして下さり、本当にありがとうございました。
私たち家族にとって、お二方の存在はとても心強かったです。
心よりお礼申し上げます。